第62回全道造形教育研究大会 帯広・十勝大会を終えて
第62回全道造形教育研究体会
帯広・十勝大会
運営委員長 辻 敦郎
帯広市立帯広第五中学校
「会場に版画を並べて、たとえば“版画の小径”。そこに机をおいて、ワールドカフェにしたら?・・・。 」 「美術館、会場にできないかな・・・・。」
「カフェ形式は話しやすくなるしね、・・・。色々な思いや、造形教育の・・・。実践や、語り合ったり・・。きっとそれが大事で・・。」「美術館の石畳、昔フロッタージュ・・。」
「十勝は版画教育の歴史があるので・・。実践の蓄積もあるし・・。」
「ねね、まず、会場決めないと・・。机の関係で小学校?・・。五中でもいい・・五中」
三年前から徐々に、準備委員会のメンバーを募って、
小さな準備委員会でメンバーが額を寄せ合って、プランを話している。準備委会はやがて月日を経て、運営委員会になり、瞬く間に2年が過ぎました。
運営委員会の偉さは、最初の会合の荒々しく、みずみずしい、アイディアをいつまでも、あきらめず、新鮮なまま、はつらつと、若々しく、斬新に、・・。やり遂げたことです。
「十年前は美術科出身の校長先生達はそうそうたるメンバーいたじゃないですか・・・。
今は辻先生・・・・。しか・・。いないので」
辻先生しかの「しか」が森にいる角の生えた茶色い動物でないのは重々承知で、「仕方ないので・・。」という語感をなんとなく感じながらも、私自身運営委員長の重責を楽しめたのは、今回この研究会を企画運営した運営委員達の熱意や仕事ぶりによります。この研究会を創る側に参加できたことを光栄に感じ、皆さんに心より感謝します。
■造形教育が学校で孤立しないこと
「世間」から造形教育が何か理解しがたい特別なことだと思われたり、生まれつきの才能で優劣がつく教科と誤解されることを一番に恐れてきました。
芸術を扱うのでどうしても、誤解される危険を意識しなければなりません。
ここで言う「世間」とは、たとえば、今、美術室で絵を描いている中学生が将来大人なって、「美術」を他の教科とは違う特殊な、特別な人たちの限られた活動であると思ってしまったり、たとえば、教師自身も、学校の中で造形教育が他教科から、指導法や評価の仕方、定期テストの有無を含めて、理解しがたい、近寄りがたい、独特の学力観や、作品をつくるためだけの無計画な教科で、そのことに議論の余地のない教科であったり、または図工・美術の教師が美術準備室をアトリエ代わり引きこもり、コミットするべき相手を間違っていたり・・・。「世間」がそんな風に造形教育を認知すると、造形教育はリアリティーのない実感できるところのない、無用なものになってしまいます。世間」は家庭であり、地域であり、社会全体であり、私たち教師の目的そのもの、つまり児童・生徒でもあります。
そこで、私たちは大会テーマを「つくるとき・つながるとき」としました。同じ時間を共有する仲間と、社会と、未来と「つながる」それを実感する造形教育を探ろうとしました。また、研究主題を「豊かな心をはぐくむ造形教育」としました。10年前と同じテーマをあえて選びました。「心」からはじまる教育として捉えたかったのです。
私たちは与えられた実在の中に住んでいます。それがはたして真の実在かと疑問に思ったときに「造形活動」はどこからかやってきます。小さな生まれたての子どもであっても、成熟した大人であっても知的な精神作用が激しく働きます。「そんな研究会ができたらいいな。」と考えました。
■「なぜ今、美術教育か」
全道全国各地より参会いただいた皆さま、関係各位、授業の公開や提言、助言を快く引き受けていただいた各幼稚園、小・中学校、高等学校、大学の教職員の皆様、児童生徒、学生、保護者の皆様に心より感謝申し上げます。また、この研究大会に当初から深い理解をいただき、特段のご配慮をいただいた道立帯広美術館には重ねて深く感謝いたします。
幸いなことに、自分の学校をメイン会場にすることができました。この大会の成果を語るときに本校職員の活躍ぬきにはかたれません。
関連事業として行ったワークショップ、岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト「O-perperke-p 2012 森ニイマス」は驚くべき経験でした。
私たちは今日も「森ニイマス」この森は混沌とした「問いの形」です。
「なぜ、いま」という問いの形が貫かれた大会は、それぞれの参加者に重く、深いく現在に向き合うことを促しました。
第62回全道造形教育大会帯広・十勝大会は平成24年7月27日に開催されました。それはそれは暑い夏の日でした。この日が皆さまの心にいつまでも残るものであることを願いながら、重ねて心より皆さまに深く感謝いたします。